ドンペリ

シャンパンの中で、日本で抜群の知名度を誇る”ドンペリ”こと、”ドンペリニヨン”。そんな高級シャンパン、”ドンペリ”の歴史について見ていきましょう。

”ドンペリ(ドンペリニヨン)”の由来!

ドンペリルミナス

”ドンペリ”というシャンパンの歴史をまとめる上で、重要な人物います。その人物の名前である、”ピエール・ペリニヨン”こそが、”ドンペリ”こと”ドンぺリニヨン”のブランド名の由来。敬称である、”ドン(don)”というの付けて、”ドン ペリニヨン”と呼ばれています。

シャンパン”ドンペリ”は、”ピエール・ペリニヨン”への敬意を表現するシャンパンでもあります。

人物、”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”とは!?

ドンペリコルク

ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)は、シャンパンの父、シャンパンのパイオニア(開発者)として認識される人物なのですが、彼にまつわる伝説には疑問も多く残っているとされています。

>>なぜ、ピエール・ペリニヨンがシャンパンの父と呼ばれているのか!?

ピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)は、1638年に生まれ、19歳の時にヴェネディクト派の修道者になりました。1668年から亡くなる1715年までの間、オーヴィレール修道院で暮らし、酒庫係の役割を担っていました。酒庫係とは、ワインの醸造をしていたということ。そもそもなぜ、修道院に酒庫係があるのかというと、ワインがミサに使われるためだそう。

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そして、彼が酒庫係として働いていた間に、偶然にも発泡性ワインが出来上がったことで、”シャンパンの父”、”開発者”と呼ばれるようになりました。また、その他にも、彼にまつわる色々な伝説が語り継がれています。例えば、彼は盲目だったために、嗅覚や味覚に優れていたとか、現在のシャンパン造りにおいて重要とされる、ブレンドする技術や泡を閉じ込めるためにコルクの利用を思い付いたなど。ただ、これらの伝説は、彼が実際に実現したことなのか、明確な証拠がなく、ベールに包まれたままとなっています。

>>”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”がシャンパンの歴史上で成し遂げたこと一覧!

ともあれ、多くの疑問が残る中で、”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”は、”シャンパンの父”と崇められ現在までもその名を残しています。なぜ、今もなお”シャンパンの父”と認識されるのか、それは下記”ドンペリの誕生”でも記載しているように、”ドンペリ”が、シャンパン市場の活性化に力を添えたからだと考えられます。

以上が、”ドンペリ”という名の由来となった人物”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”についてですが、シャンパン”ドンペリ”の誕生は、彼が亡くなってからずっと先のこと。次は、シャンパン、”ドンペリ(ドンペリニヨン)”の誕生にスポットを当てていきましょう!

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シャンパンブランド、”ドンペリ”の誕生は!?

ドンペリのミュズレ

シャンパン、”ドンペリ(ドンペリニヨン)”の始まりは、ドンペリの名前の由来である、”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”の死去後の1930年(この辺りの年号等は本などの媒体によって差があり曖昧さがあります)。現在の”ドンペリ”の生産者である”モエ・エ・シャンドン社”が、”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”が一生を捧げた修道院とブドウ畑を所有し、その後”ドンペリニヨン”の商標権を獲得したことから、シャンパン”ドンペリニヨン”の歴史が始まります。

シャンパンの生産量が拡大し、シャンパン市場が多くの人に開かれたのは、19世紀頃。その頃に多くの有名シャンパンメーカーが設立されています。しかしながら、時代は、世界的な恐慌へと向かい、シャンパン市場もおのずと落ち込むことになります。

シャンパン”ドンペリニヨン”もそんな時代に誕生しました。”ドンペリニヨン”の商標権を持つ、モエ・エ・シャンドン社が、1921年のヴィンテージ(1921年に収穫したブドウを使って造られたドンペリ)を1936年(1935年と記載のものもあり)に”ドンペリニヨン”として初めて発売。これが、シャンパン”ドンペリ”の始まり。

初めての”ドンペリ”は、ロンドン、ニューヨークに輸出され、高級シャンパンとして人気を博します。この成功が、冷え込んでいたシャンパン市場に刺激を与えたとされ、こういった背景も、”ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)”がシャンパンの父と呼ばれる理由になっているようです。

(参考)”山本昭彦(2008)死ぬまでに飲みたい30本のシャンパン 講談社”、”MICHAEK EDWARDS (2010)シャンパン 産調出版”、”ドンぺリニヨン公式ページ

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