高級シャンパン「ドンペリ」の存在は知っていても、実はドンペリが何なのか知らないという方はたくさんいます。
でも、せっかくドンペリ開けたり、贈ったりするなら、多少の知識は入れておきたいと感じている方もいるのではないでしょうか。
ということでこの記事では、ドンペリことドンペリニヨンという名前の意味や由来に関連し、ドンペリの歴史についても簡単にまとめています。
少しでも知識を入れるだけで、「知らない」不安が軽減し、ドンペリを堂々とより楽しく飲んだり贈ったりできますよ。そして、ドンペリについて会話も弾みます。
それでは、始めましょう!
ドンペリ、ドンペリニヨンの意味や由来とは!?
「ドンペリ」、「ドンペリニヨン」は、モエ・エ・シャンドン社が生産する高級シャンパンのこと。日本においては知名度No.1とも言われる高級シャンパンで、普段ワインを飲まない方でもドンペリの存在を知ってるほど人気があります。
では、「ドンペリ」と「ドンペリニヨン」、2つの呼び名の違いは何なのでしょうか。
ドンペリとドンペリニヨン、違いは!?
ドンペリとドンペリニヨン、どちらも同じ高級シャンパンを指していますが、正式名称は、Dom Pérignon(ドン ペリニヨン)。そして、「ドンペリ」は、日本におけるDom Pérignon(ドン ペリニヨン)の愛称(略称)になります。
なので、「ドンペリ」は日本のみで通用する名前で、海外で「ドンペリ」と言っても通じません。
では、そんなドンペリことドンペリニヨンの名前の意味や由来は何なのでしょうか。
ドンペリことドンペリニヨンは人物名だった!
そう、Dom Pérignon(ドンペリニヨン)とは実は人物の名前が由来しています。意味はというと、「ペリニヨン氏」や「ペリニヨンさん」と、まさにとある人物のこと。
そんな人物とは、Pieere Pérignon(ピエール・ペリニヨン)。ここで、「あれ?最初のDom(ドン)がない!?」とお気づきの方が居るかもしれませんが、Dom(ドン)は、ヴェネディクト派の修道士の敬称なので、名前を省いて表記されています。
人物「ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)」とは!?
ドン ピエール・ペリニヨン(1638-1715死去)は、フランスのシャンパーニュ地方にあるオーヴィレール修道院で酒庫係としてワインの醸造をしていた修道士。
彼は存命中、ワインの醸造過程で偶然にも発泡性のワインが出来上がり、現在のシャンパン醸造の特徴でもあるブレンドという方法を見つけたこと、コルクの利用を思いついたこと、丈夫なガラス瓶を採用したことなど、現在のシャンパン造りに多大な貢献をしたことから、シャンパンの父とも呼ばれています。
ちなみに、ドンペリの生産者であるモエ・エ・シャンドン社(フランス)には、このドンペリの由来になった、人物「Pieere Pérignon(ピエール・ペリニヨン)」の銅像があることで有名。ネットで検索すると多々ヒットします。
でも、なぜ高級シャンパンにドン ピエール・ペリニヨンの名前が採用されたのでしょうか。
なぜ人物名!?ドンペリはオマージュシャンパン!
理由は、そもそも高級シャンパン「ドンペリ」は、シャンパン造りに大きな貢献を残したシャンパンの父「ドン・ピエール・ペリニヨン」という人物への敬意を表現するために造られているからなんですよね。
ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)は、シャンパンの父、シャンパンのパイオニア(開発者)として認識されている人物なのですが、彼にまつわる伝説には疑問も多く残っているとされています。
ドンペリは、いわゆるオマージュシャンパンなのです。
これが分かればドンペリの歴史も簡単。さくっと見ていきましょう。
ドンペリの歴史!
ドンペリの歴史には、ドンペリニヨンという名前の由来となった人物「ピエール・ぺリニヨン」の存在は欠かせません。その人物と現在の生産者であるモエ・エ・シャンドン社との関係性をおさらいすることで、高級シャンパン「ドンペリ」誕生の流れが分かります。
始まりは、人物ピエール・ペリニヨンの活躍
ピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)は、1638年に生まれ、19歳の時にヴェネディクト派の修道者に。そして、1668年から亡くなる1715年までの間、オーヴィレール修道院で暮らし、酒庫係の役割を担っていました。
ちなみに酒庫係とは、ワインの醸造担当ということ。そもそもなぜ、修道院に酒庫係があるのかというと、ワインがミサに使われるからなんですよね。
そして、彼が酒庫係として働いていた間に、現在のシャンパ造りの土台となる次のようなこと成し遂げます。
- ワイン醸造において偶然にも発泡性ワインが出来上がった
- 現在のシャンパン醸造の特徴でもあるブレンドという方法を見つけた
- 泡を閉じこめるためにコルクの利用を思いついた
- 丈夫なガラス瓶を採用した
この他にも彼は盲目だったために、嗅覚や味覚に優れていたというような様々な伝説が残されています。
これらの大きな貢献が称えられドン ピエール・ペリニヨンは「シャンパンの父」、「シャンパンの開発者(パイオニア)」と呼ばれるようになりました。
ただ、彼が成し遂げたとされることには疑問視の声も多々あるのが事実。伝説が語り継がれ銅像まであるものの、彼が実際に実現したことなのか明確な証拠がなく、ベールに包まれたままとなっています。
>>ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)がシャンパンの歴史上で成し遂げたこと一覧!
ともあれ、彼の伝説には多くの疑問を残しながらも、ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)は、シャンパンの父と崇(あが)められ現在までもその名を残しています。
なぜ、今もなおシャンパンの父と認識されるのか、それは次のドンペリの誕生で記載しているように、ドンペリが、シャンパン市場の活性化に力を添えたからなんですよね。
ただ、シャンパン「ドンペリ」の誕生は、彼が亡くなってからずっと先のこと。次は、シャンパン、「ドンペリ(ドンペリニヨン)」の誕生にスポットを当てていきましょう。
シャンパンブランド、「ドンペリ」の誕生は!?
シャンパン、「ドンペリ(ドンペリニヨン)」の始まりは、ドンペリの名前の由来であるピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)死去後の1930年(この辺りの年号等は本などの媒体によって差があり曖昧さがあります)。
現在の「ドンペリ」の生産者であるモエ・エ・シャンドン社が、ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)が一生を捧げた修道院とブドウ畑を所有し、その後「ドンペリニヨン」の商標権を獲得したことからシャンパン「ドンペリニヨン」の歴史が始まります。
シャンパンの生産量が拡大し、シャンパン市場が多くの人に開かれたのは19世紀頃。その頃に多くの有名シャンパンメーカーが設立されています。
しかしながら、時代は世界的な恐慌へと向かい、シャンパン市場もおのずと落ち込むことに。シャンパン「ドンペリニヨン」もそんな時代に誕生しました。
「ドンペリニヨン」の商標権を持つ、モエ・エ・シャンドン社が1921年のヴィンテージ(1921年に収穫したブドウを使って造られたドンペリ)を1936年(1935年と記載のものもあり)に「ドンペリニヨン」として初めて発売。これが、シャンパン「ドンペリ」の始まり。
初めての「ドンペリ」は、ロンドン、ニューヨークに輸出され、高級シャンパンとして人気を博すことに。
このドンペリの成功が冷え込んでいたシャンパン市場に刺激を与えたとされ、こういった背景もピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)がシャンパンの父と呼ばれる理由になっています。
シャンパンの歴史を駆け抜けてきたドンペリ。長い間伝統を守りつつもドンペリを進化させ、事業としても時代を渡り続けることは簡単なことではありません。
今後、ドンペリがどんな時代をドンペリが紡(つむ)いでいくのか、期待したいところです。
(参考)”死ぬまでに飲みたい30本のシャンパン【電子書籍】[ 山本昭彦 ]”、”シャンパン FINE WINEシリーズ / マイケル・エドワーズ ”、”ドンぺリニヨン公式ページ”
オススメ記事