シャンパン「ドンペリ」こと「ドンペリニヨン」の由来となっているのは、ピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)というオーヴィレール修道院の修道士。そんなピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)は、「シャンパンの父」とも呼ばれています。そこで、浮かぶ疑問は次の通り。
fa-lightbulb-oこの答えを簡単に言ってしまえば、現在のシャンパン造りにおいて欠かせない基礎を築いた人物だからなのですが、具体的にピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)が、具体的に成し遂げたと言われることを紹介しておこうと思います。
ただ、この「シャンパンの父」という表現については、ドンペリニヨンというシャンパンブランドを展開する上での宣伝や広告の一貫して出された表現だという話も出ています。また、彼が成し遂げたされることの一部は、確たる証拠がないものも存在します。
今回はそんな要素も含めて、整理してみたいと思います。
ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)が、シャンパンの歴史上で成し遂げたこととは!?シャンパンを発明したの!?
様々な媒体を通してピエール・ペリニヨンが成し遂げたとされていることは次の通り。
- 発泡するワインを発明した!
- ガス圧に耐えられるよう、耐圧性の高いガラス瓶を発明・導入!
- コルク栓を発明・導入!
- 黒ブドウで白ワインを初めて造った!
- シャンパン生産用の圧搾機を発明!
- 地下ワイン蔵(カーヴ)を初めて建設!
- ワインをアッサンブラージュ(ブレンド)する方法を発案した!
これらが真実だとすると凄いことなんですが、残念ながら真実ではないことも含まれています。
特に、「発泡するワインを発明した」ということに関しては、実際にはイギリスの科学者が、ピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)よりも前にシャンパーニュ地方のワインが発泡することを見つけたという記録が残っているため、事実と異なるのです。
「では、実際に彼が成し遂げたことは何なのか!?」、記録が残っているとされているものを何なのか見ていきましょう。
ピエール・ペリニヨンが成し遂げたこと。証拠や記録が残っているものはどれ!?
上記のピエール・ペリニヨンが成し遂げたとされる一覧の中で、下記のことについては、ピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)の後継者とされるフレール・ピエールの記録に残されています。
- ガス圧に耐えられるよう、耐圧性の高いガラス瓶を導入(発明ではない)
- コルク栓を導入(発明ではない)
- 黒ブドウで白ワインを初めて造った
- シャンパン生産用の圧搾機を発明
- ワインをアッサンブラージュ(ブレンド)する方法を発案した
シャンパンの醸造において特に注目されているのは、アッサンブラージュ(ブレンド)と、黒ブドウから白ワインを造ったこと(圧搾機の発明含む)。
アッサンブラージュ(ブレンド)に関して言えば、シャンパン造りの特徴ともいえる手法で、現在のシャンパンには欠かせない要素。というのも、フランスのシャンパーニュ地方はフランスの北東に位置することから気候的にも安定したブドウ栽培が難しい環境であり、品質を安定させるためにアッサンブラージュ(ブレンド)が用いられています。これが、シャンパン造りの特徴といえる点であり、これなしには現在のシャンパンには辿りつけません。
また、黒ブドウから白ワインを造ったことに関していえば、もともとブドウの果皮に色素が含まれているので、黒ブドウの果実は破砕して果皮と一緒に果汁を取り出す方法だと赤色が自然とついてしまういます。なので、黒ブドウ=赤ワインというある意味縛りやルールのようなものがあった中、そんな概念を転換したのがピエール・ぺリニヨン(ドン ペリニヨン)。黒ブドウから透明な果汁を絞るコカール・プレスを発案したというわけです。
他は、コルクや耐圧性のある丈夫な瓶の存在に気づき、導入したということになります。
これらを踏まえると、ピエール・ペリニヨンが「シャンパンの父」と呼ばれてもおかしくないように感じますが、いかがでしょうか。発泡性ワイン(シャンパン)を発明したというわけではなくとも、現代のシャンパン造りに大きく貢献していることは間違いのない事実なのです。
以上が、『ピエール・ペリニヨン(ドン ペリニヨン)はなぜ「シャンパンの父」と呼ばれるのか!?ピエール・ペリニヨンがシャンパンの歴史上で成し遂げたこととは!?』でした。