ワインを人と飲むとき、「これはすごく美味しいから飲んでみて」と薦められたワインに素直に美味しいと思えないことが多々あります。飲む相手によっては「美味しくない」と正直に言えず、「本当に美味しいですね」と言うしかないことってあるんですよね。でも、美味しいと思えないワインを飲むのは辛いものがあり、なかなか飲み進められません。
そして、逆の立場も然り。「これすごく美味しいから」と準備したワインを相手に振舞ったものの、飲んだ相手の反応がイマイチということがあります。「うーん」と正直に好みでない反応をしてくれるのは気の置けない間柄だけのこと。
大多数の方は気遣いから、「美味しい」と同調してくれます。でも、「美味しい」と言われても、その後相手との話が盛り上がらなかったり、グラスがなかなか空かない場合は、「好きではないのだな」と分かります。
こんな場面に出くわす経験を重ねていくと、ワインを通して、「人それぞれ違う」、「違っていて当然」、「人と違っていて良いのだ」と思えてくるようになりました。
ワインと人間関係、ワインを通して「人の多様性を理解する」。
恋人間・夫婦関、友人関、どの人間関係をとってもそうですが、「相手は自分と同じ考えをしている」、「自分と同じように感じている」、「自分と同じことが出来る」と勘違いしてしまいがち。
私達夫婦でもよくあることですが、新婚当初、自分が美味しいと思ったものは相手も美味しいと感じると決めつけていて、「美味しい」の押し付けをしている時期がありました。w 相手が「美味しくない」といえば、「せっかく準備したのに」、「せっかく買ったのに」という思いが浮かび不機嫌に・・。これは、前提に「相手は自分と同じ」という固定概念がある証拠ですよね。
でも本来、相手は全く違う人間。感じ方、捉え方も自分とは異なります。相手が辛いと言えば、自分からすればどんな些細なことでも相手にとっては辛いのであって、感じ方は人それぞれ自由で正解も不正解もない。
「人はそれぞれ違う」、「人と違っていて良い」という当たり前のことに、ワインを通して気づき、そんな違いを見出すワインに出会えば出会うほど「人それぞれ違っていて良いのだ」と思えるようになりました。だって、美味しいと思えないワインはいくら頑張っても飲み進められないのですから。
それからは、「美味しさ」の押し付けをすることもなく、相手に「美味しい」と期待することもなく、逆に「こういうワインが好きなんだな」と相手を理解することに繋がるようになりましたね。
ワインを通して、相手を理解する
「南の女が好むワインと北の男が好むワイン」という記事にもありますが、私達夫婦の場合、ワインの好みが全く異なります。夫は、どちらかというと静かで暗闇を感じるとでも言いましょうか、深く考えさせられるワインが好き。一方の私は、とにかく陽気で明るいワインが好きなのです。つまり、真逆。
また面白いことに、夫は私が好むワインも楽しめないことはないけれど、私は夫が好むワインはどうしても受け付けられない傾向にあります。どうしても飲み進められないのです。
こういう事態が起きると、徐々に互いのことが理解できるようになるんですよね。例えば、「夫は、静かで落ち着いた環境が好きなのだな」とか、「一人でしっぽり考えを巡らせるのがリラックスになるんだな」など。相手への理解が増し、「自分とは違うんだな」と知るのです。>>ワインと孤独。ワインによる孤独を生かせる人と生かせない人。
fa-lightbulb-oそんな違いがある2人ですが、ごくたまに好みの違う2人が大満足できるワインに出会うことがあります。
「人はそれぞれ違う」けれど、共通点がある。繋がりを感じる。
そんなワインに出会えた時は、夫婦で感動し、すごく楽しい一時を過ごすことが出来るんですよね。なかなか出会えるものではないけれど、互いに満足できるワインは、そのワインに抱く感情やイメージも同じことが多く、fa-lightbulb-o「私達それぞれ違うけれど、共通点もある」と気づかせてくれます。つまり、「繋がり」を感じるのです。
そうなると、考えが違っている人、価値観が違う人、嫌だと感じている人でもどこかに自分との共通点があり、繋がるところがあるのではないか・・ふとそんな思いが浮かぶんですよね。そうすると、怒りや憎しみを通り越し、抱えていた重荷が少し軽くなる感覚が芽生えます。
まさにワインで自分を知り、ワインで相手を理解する。そして繋がる。もはやワインセラピーですね。私達夫婦にはそんな造語もしっくりきてしまいます。
有名シャンパンブランド、「パイパー・エドシック」の甘口(ドゥミ・セック)シャンパン。普段甘口を飲まない夫と共に会話が盛り上がり、楽しい一時を過ごせたワイン。何かを包み込むような柔らかな印象が残るシャンパン。記憶に残る1本になりました。