シャンパンブランド”G.H.マム”について調べている時に初めて知ったこと、それが、”G.H.マム"の歴史の中に日本人が居たということ。

使う言葉として正しくは、”G.H.マムの歴史の中に日本人だった人が居た”になると思いますが、驚いたのと共に、不思議ですよね、一気に親近感が湧きました♡

ということで、情報を共有しておこうと思います!

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1957年、”G.H.マム”の歴史に日本人画家さん!?

その事実は、”G.H.マム”の公式ページから知りました!下記に引用します。

 

G.H.マム ロゼのボトルには、見事な芸術作品があしらわれています。コルクの上部のキャップを飾るバラの絵柄は、日本人画家のレオナール・フジタ(藤田嗣治)が描いたものです。

1913年に初めてパリに到着したフジタは、すぐにピカソやアポリネールとの親交を深め、両大戦間においてフランスで最も人気の高い芸術家のひとりと言われるようになりました。各地を転々とした後、1950年代前半にフランスに帰化し住居を構えました。

1957年、G.H.マムの当時の社長だったルネ・ラルーは、G.H.マム ロゼのイメージにふさわしいマークを探していました。熱心な美術品収集家だったラルーは、親交のあったフジタにデザインを依頼。これを受けて水彩画による「レオナール・フジタのバラ」が誕生しました。

このバラによって、二人の間の絆はさらに強まりました。フジタはキリスト教に改宗し、ランスのノートルダム寺院で洗礼を受けました。洗礼親を務めたラルーは、ランスのG.H.マムにほど近い場所にある土地をフジタに提供し、フジタはそこにチャペルを建設しました。フジタ自身がデザインと装飾を手がけたこのチャペルは、現在でも訪れることができます。

上記を読んでも分かる通り、”マム グラン コルドン ロゼ”のミュズレと呼ばれるコルクの上のキャップのようなものに、”薔薇(バラ)”が描かれていて、その”バラ”を描いたのが、日本人画家の藤田嗣治さんだったということ。しかもそれは、1957年。ただ、藤田さんはフランスに帰化されているので、正しくは”日本人だった”というのが正解なのかもしれません。

実際の”ロゼ”の”ミュズレ画像”は残念ながら私自身持っていませんが、”G.H.マムの公式ページ”にデザインが掲載されているのと、”G.H.マム ロゼ ミュズレ 画像”で検索エンジン上で検索すると、デザインを見ることが出来ます♡ちなみに、このデザインは、”ロゼ”のみのはず!”白”の”マム グラン コルドン”のミュズレは下記の通りなので、薔薇(バラ)ではないんですよね。

g.h.マムのミュズレ

なんだか不思議なんですが、この事実を知った時に心が良い意味でざわついたというか、一種の”感動”のような感情が湧きあがってしまい、一気に”G.H.マム”に親近感が湧きました。

でもよくよく考えてみると、現在のシャンパンにおいては、日本人アーティストとコラボしたデザインのシャンパンって結構あるんですよね。そういうのを見つけた時も『わぁ』という嬉しさがあるんですが、今回の発見はまた別物。それは、”1957年”という時代に起きたことだからこそ特別な感情がある気がします。

まだまだ日本に”シャンパン”の流行が訪れる前のことで、その時代に”シャンパン”の生産者と関わっていた日本人(帰化されていますが)の方がいらっしゃったのだという事実に、驚き、そんな事実がフランスの”シャンパン”と”日本”の繋がりを感じさせてくれる気がしたのだと思います。

ということで、嬉しい情報だったので共有してみました♡

それでは、また!

>>G.H.マム 公式ページ

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